泡沫で儚い記憶

あなたの幸せが ずっと、ずっと、つづきますように。 小さな砂粒があつまって、 大きな岩になるほどに。 その大きな岩の表面に コケが生えるほどまでに。

【お題】 生きることは働くこと

 

先週末、センター試験の会場へ娘を車で乗せていった。娘は保育士と幼稚園教諭の二つの資格を取るために大学に行くといっている。僕は20歳の頃は高校を卒業して、大学を諦め税理士の勉強を始めていた。税理士の勉強を会社でも続けたかったので、最初の会社に経理で入った。そこで売掛金の管理を6年していたときに、税理士受験資格を取得し、社会人向けの経理学校へ仕事の後通っていた。

 

簿記論と財務諸表論を勉強しているときに、そこの学院長から、税理士の勉強をしながら、簿記とパソコンを教えてみないか、との誘いがあった。ちょうど、上司が替わって、うまくいっていないときだったので、その誘いを受けた。ちょうど、結婚して上の子が生まれたぐらいの時。1996年から2004年ぐらいまではパソコンスクール成長期で、生徒がたくさん来た。ちょうど、アビバのCMがガンガン流れていたあたり。

 

授業の準備や雑務が多くなり、税理士を諦め正社員になった。それが32歳の時。もしそこから税理士になったとしても、独立する自信がなかった。2005年になると会社の景気が悪くなってきた。給料は遅延。月に2回に分けて半分ずつ支払われた。だんだんと生活が苦しくなり、転職を考えるようになった。いよいよ会社がやばいとなったときに、出版会社に転職出来た。

 

そこで、本の売り上げ管理と予測を任された。出版した本は、取次という所に収め、そこから書店に並ぶ。しかし、売れなければ書店から返品される。その金額の管理をしていた。その出版社は市ヶ谷にあり、茨城から市ヶ谷まで片道2時間以上かけて通っていた。仕事は任されたことをただこなしているだけだった。そこの出版会社は出入りがはげしく、月に3・4人は退職し、新しい人が入ってきた。働いている人は、腹黒い人が多く、引き継ぎをお願いしても無視したり、間違ったことを教えたりしていた。

 

そんな会社だったので、働いて1年もするとまた業績が傾きだした。子供も大きくなり、路頭に迷うわけにはいかないので、今度は地元で転職先を探した。働ければ何でも良かった。泥水をすすってでも、家族を養って幸せにするのが僕の使命だと思っていた。

 

たまたま、縁があって今の会社に転職出来た。収入も安定しているし、勤務時間も前の会社とは全然違い、きっちりしている。じゃぁ今の仕事が、20歳の頃やりたかった仕事かと言えば、そうではない。税理士を諦めた時点で働くことにアイディンティティを見いだせなくなり、仕事に対する価値が変わったせいなのかもしれない。

 

横断歩道を渡る受験生を見ながらそんなことを考えていた。彼らも20年後どんな人生になっているかなんて、全然わからない。たとえ夢かなわなくても、目の前の現実に全力を尽くすことで、自分の道が開ける事は間違いない。

受験会場に着き、娘に「がんばれよ」とだけ声をかけた。娘は無言でうなずき、車を降りた。

 

 

今週のお題「今の仕事を選んだ理由」