泡沫で儚い記憶

あなたの幸せが ずっと、ずっと、つづきますように。 小さな砂粒があつまって、 大きな岩になるほどに。 その大きな岩の表面に コケが生えるほどまでに。

【小説】 マタアイマショウ

 
彼女と始まったのも、こんな雨の日だった。古びた喫茶店の天井に取り付けられているファンが、カラカラと回っている。僕らの他に客はなく、ビル・エヴァンスの静かなピアノが流れている。

二人の間に置かれたコーヒーは手を付けられないまま、常温に戻ってしまった。熱いコーヒーもいずれは冷めていく。僕らの関係と一緒だ。

彼女の態度から、なんとなく終わりそうな気がしていた。うつむいている彼女の表情はわからない。
「もう無理なんだよね?」「うん・・・」
たくさんケンカをして、たくさん彼女を傷つけた。
「夏美・・・」と声をかけると、彼女は顔を上げた。今まで見たことないような顔で泣いていた。思わず彼女の手を握った。

彼女の手の体温が伝わってくる。もうこの手を握ることもないだろう。いくら女性の心がわからない僕でもそれぐらいはわかる。彼女の涙で濡れた目を見つめた。思い出で頭がグラグラする。

「また、いつか会おうね」「うん」

もう会えないのはわかっている。元通りにならないことも、彼女の体温を感じることも、小さい頭を撫でることも、細い体を抱きしめることも、もうできない。


「今までありがとう」と言って、彼女の手を離し、振り返らずに喫茶店を出た。これから彼女を見るのは思い出の中だけになる。静かに降る雨のなかを、傘をささずに歩いていった。