【WEB】 専門家よりも有名人の言葉を信じる人々
今週はやばい。なにがやばいって、週末遊びすぎて眠い。そんな眠気を吹っ飛ばす会社のリストラ宣言。やっぱり世の中不景気なのかも。
ピースボートはソマリア沖で海上自衛隊の護衛艦に護衛してもらった。いざとなる時、「ピース」を守ってくれるのは「9条」ではなく自衛隊だ。ピースポートの人々が自らの安全を自衛隊に頼るとは、要するに彼ら自身でさえ、「平和憲法あれば平和と安全は守れる」という嘘を信じていないのではないか。
— 石平太郎 (@liyonyon) 2016年5月17日
ツイッター6年やってるけど、いちばん役に立ったのは、書類作成が苦手でいつもミスすると嘆いていたら「書類を作るときは数字と固有名詞だけよく確認する。それだけで重大なミスはなくなる」ということを教えてもらったことだよね。たぶん墓場まで持っていく知恵。
— ジロウ (@jiro6663) 2016年5月15日
小泉純一郎「素人の私でも、病気になる原因は放射能だという感じがする」湯川れい子「私自身は、影響はあるのだろうなぁ、と思ってます」。5年間学者や被災者が血のにじむような努力をして積み重ねた知見に見向きもせず偏った見聞で「感じがする」「思ってます」とデマを拡散する人々。恥を知るべき。
— the_spoiler (@don_jardine) 2016年5月19日
体罰を受けて育った人間が体罰はありがたかったとしばしば主張するのは、自分が嫌な思いをしたのが無駄だったとは思いたくないだけの認知的不協和の解消なんで、あんまり相手しなくていいですよ。
— 高 史明(TAKA, Fumiaki) (@Fumiaki_Taka) 2013年1月9日
洗車場でカップルの彼氏が黙々と車拭いてて彼女が飽きたらしく「そんなピカピカにしなくてよくない?」等文句を言い始めたんだけど、彼氏が「お姫様のためにカボチャを馬車にする魔法かけてるから静かに待ってろ」と言った破壊力に彼女真っ赤になって黙っちゃうし周りの俺らのワックスの手も止まった。
— マルキン (@ma_ru_kin) 2015年9月21日
あるビジネス誌に載っていた、就職活動に関する座談会で面白かったコメント。「学生は就活のアドバイスを、よりにもよって、大学の教授・親・周囲の友人という、“三大世間知らず”に求めてしまっている」
— 重本憲吾 (@shigeken01) 2010年9月5日
アメリカ人観光客が「日本のお城ってレプリカばかりだった;ガッカリ」とか言ってたんだが、自分が知ってるだけでも「広島城、名古屋城、岡山城、和歌山城…」これらは米軍の空襲で消失してることを問い詰めてやりたかった。
— 谷淳々 (@tanijunjun) 2015年5月1日
33年生きて来てひとつ確かな事があるのだとしたら「欲しい物を我慢したら得する」「我慢したら強くなれる」と言う事例は「 殆 ど 無 い 」と言う実感なので、お金があって欲しかったら買うべきであろう。我慢が必要なのは手に入れるか否かの時ではなく「手に入れられない」時。
— 小山宗祐 (@Sousuke_Koyama) 2014年2月10日
警察から問い合わせがあったら
警察からの照会電話がたびたびかかってくる職場で働いていたことがある。
警察からの照会だからこたえることが許される、あるいはこたえなければならない照会が多かったのだが、必ず守らなければならないルールがあった。
それは、その電話ではこたえず、一旦、電話を切ることだった。その後、ネットなりで警察本部や警察署の代表番号を調べて、回答の電話をかけるのだ。それはもちろん、警察をかたる電話を警戒してのことだが、この警察からの問い合わせへの回答ルールには続きがあった。
問い合わせ電話の担当を把握していても、その人物を電話口に呼び出さず、「こういう照会があったのですが、担当者を失念しました。問い合わせされたのはどなたですか」というのだ。これは、照会者が真正な警察官であっても、公務でない照会をしていることを恐れるためだ。乱暴な要約をすれば、悪徳警官でないかを心配しているということだ。前段の警察の代表番号にかけ直すという方法は、ミステリーなどで何度か、読んだことがあるが、後段の方法は読んだことがない。私のいた職場でのオリジナルなノウハウだったのかも知れない。
いずれにせよ、強い力はそれだけ、警戒を要するものなのだ、と思わされた経験だった。
やる気がない人を巻き込む方法
やる気がない人に「どうか参加してください」とお願いしても、なかなか参加してはくれません。むしろ、お願いされればされるほど逃げたくなるのも人情かもしれません。
それよりも、「一緒にやろうよ」と伝えてみましょう。
わたしは田舎に住んでいて、地域の人たちと消防団活動に参加しています。これはボランティアなので強制力はありませんが、人数が少ないので、活動に支障が出始めています。もともと人口の少ない地域なので、参加できる人にはできるだけ参加してほしいのですが、中に1人、参加できるのにいつも参加してくれない人がいました。
「ちょっとお願いがあるんだけど、○月○日の行事、忙しいと思うけど、参加できないかなぁ」
このように「お願い」をしても、多くの場合、忙しい理由を説明されておしまいです。仲間内でこの話題になると、いつも「あいつはやる気がない」という話になってしまいます。参加しない人に文句をいって解決すればいいのですが、それでは進展がありません。そこでわたしは、活動への誘い方を変えてみたんです。
「○月○日の行事なんだけど、一緒にやろうぜ」
こうしたところ、いつも必ず断る人が、意外にもOKの返事をくれたのです。周りの仲間からも、「一緒にやろうぜっていうのは、なんだかいいね」という反応です。
無理にやる気にさせるよりも、「一緒にやろうよ!」というひと言のほうが、やる気を引き出すということを実感した出来事でした。
かまぼこの思い出
911 名前:仕様書無しさん[sage] 投稿日:2012/04/15(日) 11:59:01.40
私が小学1年生の時に事故で両親が死に、それ以来おじいちゃんと2人で暮らしていた。
おじいちゃんは料理などできなかったけれど、私のために毎日質素ながらご飯を作ってくれた。
ご飯と納豆、とかご飯と缶詰め、とか。
そして食卓にはいつもカマボコが2~3切れ置いてあった。
カマボコは必ず毎日食卓にあった。私はカマボコがおじいちゃんの好物だと思っていた。
中学生になり、私が食事の用意をするようになっても、必ずカマボコを2~3切れ食卓に出し続けた。
4年前、おじいちゃんが亡くなった時、霊前にカマボコを供えた。
おじいちゃんの好物だと思っていたから。
叔母さん(父の姉、おじいちゃんの長女)に「おじいちゃんカマボコ大好きだったから…」
と言うと「違うんだよ」と言われた。
「違うんだよ。あの人は子供が喜ぶ料理なんてつくれないから困ってたんだよ。」
「カマボコはピンク色だから、女の子が喜ぶと思っていつもカマボコを用意してたんだよ。」その他にも、両親が死んで叔母さんが私をひきとると申し出た時
おじいちゃんが「俺が育てる」と言って私を離さなかった事などを聞いた。おじいちゃんはいつもしかめっ面で寡黙でちょっとこわい人だった。
でも両親がいなくなった私に寂しい思いをさせないように一生懸命だった。
参観日に死んだお父さんの服を着て来てくれたこともあった。(サイズ合ってない)
ハンバーグが食べたいと言ったときに挽き肉を丸めて焼いただけのものが出てきたこともあった。
口にも態度にも出さなかったけど、おじいちゃんはすごく一生懸命に私を育ててくれた。ピンク色のカマボコを見るとおじいちゃんを思って切なくなる。
もちろん今でもお仏壇にお供えする品には、必ずカマボコをそえています。
何か楽しみを持つと言うこと
何かを楽しみに待つということが、
そのうれしいことの半分にあたるのよ。そのことはほんとうにならないかもしれないけれど、
でもそれを待つときの楽しさだけはまちがいなく自分のものですもの。あたし、なんにも期待しないほうが、がっかりすることより、もっとつまらないと思うわ。
『赤毛のアン』 (L・M・モンゴメリ 著) より